HAIRO

34年目を迎えたHAIRO

ハイロの時   ほしのあきら
   

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ハイロの時(とき)(1)〜誕生の頃

 ところでハイロって知ってましたか。いつごろから知ってましたか。1970年

10月に第1回の上映会が開かれたから、ハイロは33年前からやってるんです。

新日や全日(プロレスです)より古いんです。けっこうしぶといんです。

 今は地味だけどスタートした頃は、NHK『若い広場』、日本TV『11PM』、

TBS『ヤング・720』とか、ちょっと場違いだけどフジTV『3時のあなた』

なんかに出演したり、新聞やマスコミ、あの『平凡パンチ』にも掲載されたりと。

 こういうものが珍しかったんだと思います。思いますっていうのは、

同じような上映会が他にあるかないかとか、どんな意味があるかとかは余り考えずに、

映画作って人に見せたいけど、他にもそんな人はいるだろうから呼び掛けてみようか、という程度で始めたんです。

 だからすぐやめるとか終わるとかは考えなかったけど、33年も続くとも4考えもしませんでしたね。

 でも、マスコミっていうのはその本質を理解しようとするようなシステムにはなっていないので、

映画を作る若者のグループが自分達の上映会を開いているというような誤解が多かったんですよ。

発足当時の名前が[映像作家集団ハイロ]ですから無理もないんですが。

ハイロは無名性にこだわって多くの人達の映画を上映する、

作家の集団だということは前面に出るようにと、[上映作家集団ハイロ]に変えたのですが、

上映作家は変だし、上映するのが作家だなんてのはなくてもいいというので80年に今の[上映集団ハイロ]に落ち着いたんです。

 上映の拠点になっている渋谷のアピアというのは、もちろんもっと古いんです。

今は老舗のアコースティック・ライブハウスとして有名ですが、

もともとは[スペース・ラボラトリー・ヘヤー]略して[ヘヤー]といってました。

知っている人もいると思いますが、東京キッド・ブラザースがミュージカル『ヘヤー』を初めて上演した場所です。

ハイロは、まず上映場所があった、このことが大きいんですね。

一般的にはやりたいことがあってそれにあった会場を探すのが大変なわけです。

ハイロはその会場で何ができるかというところから始まったということなんです。

 渋谷から国道246をユーロスペース方面へ渡って、ユーロスペースの方へ曲らないでまっすぐ

、ひたすらまっすぐ3分程度で着くのですけど、初めてだと90%の人は間違えるでしょう。

周りは渋谷だというのに日曜だと閉まっている店が多く、

70年代から続いているのは[ヘヤー]改め[アピア]と、安くてそこそこおいしい食堂[かいどう]と、

[アピア]を見つける目安の煙草の自動販売機がある[さくら薬局]くらいです。

 当時は壁も床も真っ黒で、いかにもアングラ小屋でした。

東京キッド・ブラザースがアメリカへ行くというので、その権利を譲り受けて

今日まで続けているのが伊東哲男さんと照子さん。

 状況はシラケに流れ込んでいく、そんな予感の中で、

それに抗(あらが)うように映画・演劇・舞踏・(今でいうパフォーマンス)などなど様々な企画が持ち込まれ、

渦のように展開していました。その怨念みたいなエネルギーが染み込んだ空気が、人に冷たかったり優しかったり、

私はその空気が好きでした(今は改装され、全く別の空気ができつつある状況なんです)。

当時は、周囲とのトラブルもあり、会場費が出せないものもあり、

無謀な、つまりそこでしかやれないような企画もシラケにのみこまれて少なくなり、

空間の維持は大変でした。やめればいつでもやめられるということは、意識すれば続けられるということで、

これはハイロも同じですが、だからお二人は弁当屋をやったり宴会場にしたり、苦労しながら続けてきました。

 照子さんは亡くなられました。私よりも2歳上でした。…私はけっこうこの道では偉い人なんですが

いつも「ほしの君!」「ハイッ!」って。映画にも見せる態度にも厳しい人で、私はずっと言い返せずに、

頭が上がらなかったんです。でも頑張る若い人には優しく声をかけ続けてくれる人で、

彼女の死がどうにも悲しくてやりきれなくて…ああ、話が続かなくなるので、別の話にします。(つづく)

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 

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